ロゴスの小径 ~心の空洞を埋める方法~

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いま、ここ。(時間論1)

ロゴスの小径へようこそ。

「 いま、ここ」っていつ?どこ?

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「かけがえのない時間を大事にする」よく耳にしますね。そしてその通りだなと本当に思います。死んでしまったらもう終わりなのですから当然です。生きているこの時間を大事にしなくては。大事にするとは何を指すのかは人それぞれですが。

 
管理人は知りたい。少しでも、「この世界」のことを。それは永遠に知り得ないことです。それでも少しでも真実らしきものに近づきたい。
「時間」とは何かを、説明できますか?
ところで、そもそも「時間」っていったいなんなのでしょうね?「誰もが知っているようだけれどそれが何か説明しろと言われるとできない」的なことをアウグスティヌスが言っていますが、まさにその通りだということに、驚かされます。

だって、時間って目に見えません。時計や太陽がないとあとは腹時計だけです(笑)でもそれも人によってバラバラですよね。楽しく過ごす時間は短かったりするのも不思議です。でもあとで思い出すと楽しい時間の方が長く感じたりもするそうですよ。
 
よく考えてみると時間というのは「概念」としか言えませんね。そしてそれは、「この世界に神はいるのか?」 と同じくらい、理論では説明できないものなんです。
 
私は大学で学ぶまではそんなことを疑うこともせずに生きていました。世界には、過去から未来に繋がっていく一本の線のような時間というものがあるというような、ぼんやりとした時間の概念の中で生きてきました。
 
いえ、いまも油断するとその概念の中に戻ってしまうのですが。その観念は、キリスト教の思想をベースにした世界観から来ています。ざーーーっくり言うと、人類はだんだん文明を取り入れ発展し、いずれは神の国に至ると言ったような。(ただしこれがキリスト教の教義というわけではありません)
「時間」の捉え方はこんな風に植え付けられています。
古代ギリシアや仏教では時間の捉え方は本来違うのですが、現代では(少なくても日本では)仏教徒を名乗る人でさえキリスト教的時間軸の概念で生きていますね。
 
西洋文明が日本に入った時期を考えると、ごくごく最近の思想なんてすよね。それまでは「子の刻」とかざっくりした時間を太陽に合わせて決めていたわけで。
 
時間とはそもそも世界の普遍的かつ科学的に定義できているものではないのです。物理学的にはアインシュタインの「絶対空間、絶対時間」という概念の中で私たちは生きています。
 
世界にはまず空間というイレモノがあって私たちはそこの一部を占めて存在しています。なので、座標で位置も表せます。ずーーーっと同じ場所にいないのは私たちが運動するからであり時間によって変化するからです。時間が止まったと仮定すればずーーーっと同じ場所の同じ空間を占めるということになります。
 
なんら違和感はない、小学生でもわかる概念ですね。だって、そう習いますし。それで日常生活に不便はありません。だから義務教育ではその先を教えてくれません。その先は、生きるのに不要な知識とも言えるからです。
 
ちなみに本当に頭の良い人とは大学に行かないでも知識を理解できる人だと私は思っています。大学に行くと、自分では考えもしなかったいろんなことを学ぶことができます。しかし、書物を読んだり思考すれば得られる知識でもありますから、頭の良い人は
知識を一人で得てしまうんですよね。学校なんか不要です。凡人の私は手っ取り早く大学で勉強していますが(笑)
 
話を戻しますと、宗教であれ物理学であれ、そういう誰かの創った概念を信じてその中で私たちは生きているわけです。それでまったく不便はありません。
 
便利でなくてもいい。本当のことが知りたい。
 でも、それじゃなんだかスッキリシナイ本当のところはどうなの?!というのが気になって仕方ないのが私が考える「哲学体質」の人だと思っています。
 
誰かの決めたルールで生きるのがどこか生きにくい。それしかないのだとしても、そもそも誰かが決めたルールでしかないということを認識するだけで違うような気がするのです。
 
だいたい耳ざわりの良い何か格言的な言葉にはたいていウソが潜んでいます。誰かに都合の良いウソが・・・(笑) 
 
「いま、ここ。」なんていう言葉を簡単に使うなら、いまという意味もここという意味も全く吟味せずに、ただ「いい感じ~」と使っているだけということになりますね。もちろんそれでもいいのですが、そういう人は、意味も分からず他人の概念の中で騙されて生きて、死んでいくのでしょうね・・・。
 

つい辛辣なことを言いたくなるのは、自分がそういう人間だったからです。人生の全てが黒歴史です(笑)

哲学的な、「時間」とは何かの思考法

だいたい、いまっていつでしょう?3秒前は「いま」ですか?1秒前は?0.5秒でも過ぎたらそれは過去ではないのでしょうか?となると「いま」という定義自体とても難しいものであることに気づきます。(ここ、も難しいのですがとりあえず今回は「いま」について考えて行きたいと思います)

 
しかし時間は、いま・いま・いま・いまという細切れには感じられずやはり一本の線で繋がっているように感じますよね。ということはどうやら私の時間は、私の記憶と関連してくることになります。


そういえば、他人と自分の時間の長さも実は違うかもしれないですよねえ。やはり世界は、どうやら自分がそうだと思い込んできたものとは随分違って出来ているようです。時間についてはまた近いうちに思考してみたいと思います。

 

最後までお読みくださってありがとうございました。

 


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