ロゴスの小径 ~心の空洞を埋める方法~

やさしい哲学が、あなたの世界観を変えます。

風が吹けば桶屋は本当に儲かるのか?

ロゴスの小径へようこそ。

 

「全ての出来事には理由がある」って、どこかで耳にしたことがありませんか。なんだか深い格言のように聞こえてこの世の「真理」を表している哲学的な言葉に聞こえます。

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全てのことに理由はある?

しかしこれは、充足理由律という一つの「思想」、アイディアです。これをこの世の法則だと捉えてしまうと、恐ろしいワナにハマることもありますので注意が必要です。(笑)

 

そういう私は随分長い間騙されて来たわけですが・・・。例えば「今日体調がイマイチなのは」←「昨日夜更かししたせい。その原因は」←「ゲーム」←「10年以上前のRPGの中古が300円だったので買ってしまった」←「楽天のお買い物マラソンで10店舗必要だった」←・・・・←・・・・←

 

・・・というように、なんでも原因を辿って行けるという考え方です。(実話)まあ、「風が吹けば桶屋が儲かる」の原理ですね(笑)この世は全てなんらかの因果で繋がっているというような考えです。

 

寝不足くらいならいいのですが、友達の輪に入れない←話題についていけない←必死にネットで話題を確認する←確認したがつまらない←つまらないのは自分がどこかおかしいから←自分自身がつまらない人間なんだろう←つまらないのは努力が足りないから
・・・・

 

などなど、自分で考え込むと、暗い原因に落ち込みかねません。就職失敗、失恋、受験失敗などなど原因を辿って行くと結局、自分を責めるか相手を恨むかに辿り着きそうな気がします。

 

自分が勉強できなかった←親の遺伝もしくは親の収入の影響←生まれたこと自体←

 

となると、生まれ持った不平等を恨むことになりますが、そう信じてしまったらもう、怒りのぶつけようがないですよね。

 

物理学の概念が、人間の営みにも適応されている

こんな風に、この世の全ては因果関係で繋がっていると考えることを「充足理由律」と呼ぶのです。確かに、一見正しそうに見えます。

 

私が今日頭痛がしたのは、寝不足だからであり、寝不足なのは夜中までゲームをしていたからであり、レベルをあと一つあげるまで続けたからであり(・・・虚しくなってきた・・・)

 

しかし、この世の全てはそんな風に繋がっていません。いえ正確には繋がっていると証明されていません。この思想のベースは、物理学のエネルギー保存の法則によります。

 

抵抗のない場所で転がる玉を突いたらすぐ次の玉にぶつかります。その玉がまたその次の玉に・・・というように運動は消滅することなく延々と続くかのように見えます。これは古典的物理学の思想で多くのモノのふるまいはこんな風にできているので、モノ以外の出来事も、そうなっているだろう、と思い込んだ結果が

 

全ての事に理由がある、に繋がっているわけです。

 

しかし、近年だいぶ当たるようになってきた天気予想でさえ雲や風や日にちなどを高度に計算しても完全に予想することは不可能だそうです。科学の世界であってもそういう状態なのに、どうして、人間の行動の理由を遡れるでしょうか?

 

例えば交通事故で人を殺してしまった。その原因を警察で尋ねられたとしましょう。←飲酒運転が原因←お酒を飲んだのは仕事が辛かったから←仕事が辛いのは、上司にパワハラにあっているから←その上司は、家で介護に追われており精神的に追い込まれて部下にあたってしまう←介護することになったのは、実は医療ミスから←その医者は、手術前日遅くまでゲームをしていた←古いRPGについのめり込み・・・(そこか!(笑))

 

・・・もはや原因はなんだかわからなくなってしまいますね。

 

本当に酷い犯罪者がいて、その幼少時の境遇、などに遡ると誰が犯人か?がうやむやになりそうです。これ、というはっきりした原因は人間の営みの中では辿れそうもありません。

 

もちろん、失敗の原因を辿ってそこを改善すればうまく行くことの方が多いと言えると思います。体重が増えたらダイエットすれば痩せるわけです。勉強すればテストの点もあがるわけです。買い物をすれば持ち金は減るし、その反省から生活の改善も図れると思います。

 

理由が決められないことの方が実は多い

しかしこの世の全てに原因を求めると神様を信じるしかなくなります。だって「この世界」はなぜ存在しているのか?という事実に目を向ければ少なくても今の科学では答えは無いので、「わからない」というか「神様が創った」の二択になりますから。

 

神様なんか信じないよ、と言ったところで「わからない」を「信じる」ことになるだけです。

 

人生を振り返り、あそこでああすればよかった、あそこであっちを選んでいればこうなったのに、と思うのは今から振り返って、物語を繋いで考えているからというだけです。過去を繋いでいくと、「因果」があるように見えるのですが、その時、そちらを選んでいたとしても思い通りの「今」になっているという確証はありません。

 

失敗したときの反省は先の予防に役立つのに対して、後悔に意味はないとは、このことです。まあ、だからどうしろ、と言った教訓的なことはこのブログにはないのですが(笑)

 

私が大学の講義やそこから自分で学んだことでそれまで知らなかった世界が開けたので

ご紹介させていただいています。何かの思考のきっかけになれば幸いです。

 

大学で学んだことをベースにした記事はこちらもおススメです♪

pathofrogos.hatenadiary.jp

 

最後までお読みくださってありがとうございました。

 

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