ロゴスの小径 ~心の空洞を埋める方法~

やさしい哲学が、あなたの世界観を変えます。

「スピリチュアル」では幸せになれなかった気がする方へ

ロゴスの小径へようこそ。

先日テレビの「思い出の曲」みたいな感じの特集で、「トイレの神様」が取り上げられていました。そういえば大流行しましたねえ。当時はトイレ掃除がだいぶ流行ったそうですが(笑)、あっという間に流行は終わりましたね。

 

トイレをピカピカに磨いたり、やたらめったら(笑)「ありがとう」を乱発することで幸せになれたような気がしないのはなぜでしょう。「法則」通りにできなかったからでしょうか?それとも信じ方が足りないから?それは、方法自体ががあなたに合っていなかったということです。


「スピリチュアル」では幸せになれなかった?

 

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まず前もってお断りします。管理人は「スピリチュアル」を否定するわけではありません。「宗教」は人を幸せにしているのだと心から思いますし、信じるものがある人は、それだけで生きるのが楽になる「勝組」だとさえ思っています。

 

なおスピリチュアルは宗教ではない、と言う方には『文化と霊性』梶尾直樹 慶應義塾大学出版会をお勧めしたいです。この件についてはまたいずれご紹介いたします。

 

いろいろ実践しているのに、夢が実現しない

「スピリチュアル」で幸せになれたという方はそれでいいのです。ここで取り上げたいのは、いろいろ実践してみたのに、夢が叶わない、効果を感じないという方です。

 

単に、「やっぱりそんなものはなかったんだ~」で済めば、努力は無駄になったとしてもプラマイ0ですからそんなに被害はないと言えますね。お布施を要求するわけでもないですし、「スピリチュアル」系の教えで、お金をかけろ、というようなものを私は見たことがありませんし。

 

問題は、マインドです。私が読んだ(おそらく20冊程度。…恥ずかしながらはまっていました…)「スピ系」の本には、たいていこんな感じに書いてありました。実践しているのに実現しないのは、「信じ方が足りないから」と。

悪いのは「方法」ではなく、「私」のせい?
 

「効果がなかったのは自分のせい」と思い心を痛めるくらいなら、はじめから何もしない方が良かったと思ってしまいます。

しかも、「毎日スクワットをしなかったから」「毎日英単語を覚えなかったから」というような内容であれば、目標に届かなくても納得がいきますし、次に何をすればいいのかもわかります。

 

けれど、「信じ方が足りなかったから」というような指摘はあまりにもあいまいです。なんにでも適応可能な便利な言葉です(笑)し、次にどうすればいいのか全くわかりませんね。

 

実際それが、「効果」があるのか無いのかは、科学的に証明できないので言及できませんが、少なくてもこうは言えます。

 

それは自分に合わない方法だったのだと。

 

自分を責める必要は皆無です。

友達が、この化粧品いいよ、と紹介してくれたとします。でも自分には合わなかった。あなたはその時、自分の体質が悪いんだ!と責めたりしますか?それとも「これは自分に合わなかった」と思いますか?

 

その方法が合わなかった方には、他の方法があると私は思います。方法といっても「幸せになれる方法」などは存在しません。それは「自分が幸せだと思ったから」以外にないのですから。

 

そこで私が出会ったのが「哲学」でした。・・・というと、怪しげな「スピ系」の販売みたいになっちゃいますが(笑)、そうではなくて大学で習うアカデミックな哲学です。

 

義務高校で習う「哲学」とは、ほとんどが「倫理学」(哲学のカテゴリーの一つ)ですから、それを「哲学」と思い込み、「なんか違うー」と哲学を学ばない人も多いのではないでしょうか。私がそうでした(笑)

 

「哲学」は、人類が思考を始めたころから延々と続く人間の根源を問う営みです。つまり流行に左右されません。古くなった思想でも、現代の最先端の思想の元になったりしています。「なつかしの曲」のように風化はせず、常に思想の中に生きているんです。

 

哲学に合うタイプの人がいる

とはいえ、残念ながら「スピ系」でうまくいかなかったから、「哲学」で心が救われる、というものではありません。理由はわかりませんし、絶対数は少ない(少ないからこそ大学の哲学科が減少しています)けれど、なぜか哲学せざるを得ないようなタイプの人がいます。

哲学者の中島義道さんはそれを、「哲学的体質」と著書で述べておられました。哲学的(哲学的、とは科学的という意味でもあります)に考えれば、親など幼少時からの周りの人の影響と言えると思いますが。私の大学の先生は「性癖」といえるとおっしゃっておられました。同じような意味合いかと思います。管理人はそれを「哲学体質」と呼んでいます。

合うか合わないかは、知ってみるしかありません。しかし、「哲学っぽいことを考える」ことと、「哲学する」ことは、似ているようで違います。少なくとも、哲学書を踏まえ、思考法を学ばなければ根源的な部分を理解することはできません。

 

なぜなら、世界はこんな風にできていると思う、と思考するだけではなく、実際、科学の最先端では「宇宙」はどう理解されているのかなどの、基礎の知識も必要になるからです。

 

また、「言葉」(ロゴス)も重要視します。もちろん「世界」は、言葉で語れないような部分が実は多くあります。けれど、理論的におかしいこともたくさん紛れ込んでいます。言葉で正確に表現できないことの多くはあやふやなことなので、そこを排除するために、言葉が必要になります。

 

そうでなく、ただ思考するだけ、ただ自分がこう思う、というだけでは「スピ系」と同じになってしまいます。

 

そんな少数派の(笑)「哲学体質」かもしれない人に、その可能性を伝えたいし、「哲学体質」の人と出会いたい。それが管理人が情報を発信する理由です。(密かにミッションだとも思っています。)

 

哲学体質ってこういう人

pathofrogos.hatenadiary.jp

 

とは言っても繰り返しますがそれで幸せになるわけではありません(笑)。むしろ世界の虚しさを噛みしめることになる感じです。けれど、虚しいからこそ、だからこそ安心するんです・・・。「心の空洞」は、実は人類全員が持っているものです。それに気づく方が生きやすいのか、気づかない方が生きやすいのか、の差のように思います。

 

最後までお読みくださってありがとうございました。

 

 

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