ロゴスの小径 ~心の空洞を埋める方法~

やさしい哲学が、あなたの世界観を変えます。

友達の中で自分だけ浮いているような気がする時

ロゴスの小径へようこそ。
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そろそろ忘年会シーズンですね。友達とワイワイ飲み会。楽しい「はず」なのに・・・。皆が楽しそうにしている中で、自分だけ浮いているような気がすること、ありませんか。その根源にあるのは「退屈」です。

友達の中で、実は自分だけ楽しめていない

友達との集まりは楽しみで、ウキウキ出かけます。でも、楽しんでいるのははじめだけ。1時間もするといつの間にかふと、どこか冷めた自分に気づく・・・。なんてことありませんか。もちろんそういうことがなく、楽しいままで終わればステキです。


楽しく笑っていたはずが、いつの間にか愛想笑いをして座っているだけの自分に気づいてしまうと、もうあとは帰ることが頭をかすめます。楽しいはずの場。なのになぜか楽しめない・・・。そして、周りからも浮いているような気がする・・・。

 

スポーツやイベント、カラオケなど目的のある集まりではそういうことは感じにくいと思います。また単なる飲み会でも、趣味のサークルなどの友達なら、共通の話題があります。

 

しかし、特に共通点のない集まり(管理人の場合には同窓会だったのですが)では、皆は楽しそうにしているのに、何が楽しいのか全くわからない。自分だけ輪の中にいないような感覚になることがありました。

まるでテレビや映画の1シーンを見ているよう。そこにいるはずなのに、どこか意識はそこにいないような。


二人の集まりでも同様に感じることはあるかもしれませんが、その場合は話を聞く必要や話す必要もあり、その場から自分を切り離すことはできませんよね。大勢の集まりでは、自分だけ話を聞かなかったり会話せずにいても誰も気づきませんから、よけいに意識が輪の外に出てしまうような気がします。

そんな飲み会にもかかわらずいつも参加していました。考えてみると、ちょうど大学に編入し学び出す少し前からで、思考が変わる過渡期の頃だったのだと思います。はじめはとても楽しくて嬉しくて、集まりの数人の幹事メンバーにもなっていたりして。それなのに、何回か出席を重ねるうちに、違和感を覚えてきました。

「皆笑ってるけど、本当にそれ楽しいの?」実は全員の一人ひとりが「ツマラナイ」と思いつつ笑っているのではないか、と疑うくらいの(笑)会話の内容…。

自分だけ楽しくないのは、自分の方に問題があるのだろうと考えました。意識を失うまで呑むような集まりだったので、お酒があまり呑めない自分だから浮いちゃってるのかな?とか、自分の性格のせいなのかな、とか・・・。しかしそれでも出席を続けていました。今から思うと、参加しないことによる疎外感が怖くて参加していたように思います。

 

しかし結局1年程度で参加を止めることにしました。参加しない疎外感よりも、参加して、どこか浮いている自分を感じる方が、苦しいと思うようになってしまったからです。

ステージ(世界観)が変わると友達も変わる

大学に編入して約1年。管理人の思考は180度と言ってもいいほど変化しました。そして管理人は、その定例になっていた集まりへの参加をやめました。思考が変わる前は、そのメンバーとのステージが同じだったのだと思います。だから楽しかった。

 

と言っても、大学に編入してオリコウになったからとか、皆さんとはグレードが違うのよ、なんてふざけた話ではもちろんありませんよ!!!(笑)

 

以前読んだ「スピ系」の本には、「友達が周りからいなくなる時は、あなたのステージが変わったから」的なことが書いてありました。なんと傲慢な!と思ったものですが(笑)変わったのは「ステージ」ではなく「世界観」と思うと納得です。

 

あたりまえのことです。同じ巨人ファンで集まって楽しく応援していたのに、阪神ファンに鞍替えしたとしたら。もう巨人ファンの話はつまらないだけですよね(笑)・・・なんだか例えが昭和ですが(汗)サッカーもラグビーも観ない管理人なのでスミマセン・・・

 

あなたがもし友達と馴染めないような気がするなら、自分を責める前にまず、周りの友達との世界観の違いを考えてみる必要があると思います。ポイントは「性格」の違いではなく、「世界観」の違いに目を向けることです。


大勢の集まりに限らず、友人も同様です。管理人はそれまでの友達はほぼいなくなるほど、誰と会っても楽しくなくなってしまったのです。話が合わないだけでなく、なんというか、一緒にいても楽しい気持ちになれないのです。恐らく友人の方もそう感じていたと思います。

自分の世界観が変わり、友達が変わる。するとまた世界が変わる!

その後管理人は、大学や哲学カフェで新しい出会いを重ね、友達が入れ替わったような状態になりました。おもしろいことに、旧友であっても以前は2人で会うことがないような、距離のあった友達が、今は頻繁に会うような友達になるケースもあるということ。

 

つまり、新しい出会いが重要と言うわけではなく、友達を選ぶ目線が変わった、という感じでしょうか。もちろんそれは、友達の方からみた自分も同様です。

話は単純で、巨人ファンから阪神ファンに鞍替えしたのなら、巨人ファンとより阪神ファンと飲んだ方が楽しい、というのと同じです。巨人ファンのままの友達は、阪神を褒めるようになってしまった元巨人ファンに、違和感を覚えるのはあたりまえですよね。

改めて言うほどもないほどあたりまえの話ですが、でも案外気づかないで過ごしてしまうのが、人間関係です。(だから心を病むまで気づけなかったりするのですが・・・)

 

「友達と合わせられない、浮いている、無理に合わせても楽しくない自分」というのを責める必要はありません。そうではなくて自分に合う友達と付き合えばいいだけだったんです。

 

同じような思考の傾向(管理人の場合は、根底に哲学を内包している人)の友達と会うと、時間を忘れるほど楽しめます。ツマラナイ飲み会に参加している時間の無駄だったことと言ったら!


この状況は誰でも陥ることがあります。有名な哲学者のハイデガーもこれについて考察しています。

集まりで楽しめない…その根底にある「退屈」

哲学者のハイデガーは「哲学入門」で、こんな例をあげています。


楽しいはずのパーティーで自分の退屈に気づく様子です。自分は退屈している、と気づいたとき自分は何をしていると思います?つまらなそうにしているなら、まだ救われます。

ほとんどの人は、集まりの場でつまらなくても愛想よく笑って過ごします。ハイデガーによると、人はいつの間にかパーティーの客を「演じて」いるような状態になっているというのです。

そう考えてみると、大勢の人が楽しそうに見える集まりでも、実は一人ひとりが演技をしている可能性もあります。怖いですね・・・(笑)もちろん一番怖いのは、自分自身が気づかないうちに演技をしていた、という状態です。


そんなことを続けていたら心が病むような気がします。自分がどういう感情にあるのかも気づかないでいるということなのですから。

もちろん仕事の場面では、そんな風に笑顔で過ごさなくてはいけない場面もあります。しかしそれはお金という対価と引き換えです。自分でお金を払って参加して演技をして帰るなんて、虚しいすぎますよね・・・。

 

自分はつまらない集まりには参加しないと決めているような人もたくさんいます。管理人もやっとそちら側になりましたが(笑)

どうしようかな、参加しようかな、と迷っているような会があるようなら、気づかないうちに自分が「演技」をしてしまっていないか、もう一度考えてみることをお勧めします。

 

自分が心底楽しめる時間を過ごしましょう!新しい友達に出会っていなくても問題ありません。一人で楽しめるツールは、現代ではたくさんあります。

 

最後までお読みくださってありがとうございました!

 

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