いま、ここ。(時間論2)
ロゴスの小径へようこそ。
「いま、ここ」って「いつ」で「どこ」?
「いま、ここ」を大事にいうフレーズが「なんとなくええ話」的に広まっていますが、時間とは何かを突き詰めると、それは驚くほどあやふやな概念です。
「時間」は存在しているという固定観念
川は一つの「川」に見えますが、水は常に流れ、入れ替わっています。ということは、「いま」「ここ」にある川は、1秒前の川と全く同じだと言えるのでしょうか?出来事は、運動し移り変わります。
なお、今回のお話はこちらの記事の続きになります。
前回もお話ししたように現代では、時間を物理学的に「絶対空間」「
しかし、宇宙に物が一つも存在せず、全く出来事が起こらない空間があるとしたら、そこにも「時間」はあると言えるのでしょうか?宇宙を含め世界の全てがピタッと止まったまま動かないなら、「時間」は存在しないように思えます。そこで時間とは「変化」そのものだという議論があります。
これにはさらに、「変化」をどう捉えるかという問題が関わってきます。私たちに広く普及している思想の一つとして、「充足理由律」というのがあります。全ての事に理由がある、という考え方です。
↓充足理由律についてはこちらも♪
風邪をひいたのは、昨日の湯冷めのせいであり、湯冷めしたのはゲームをしていたからであり・・・というように、人は何か物事が起こるのは、その前の状態に起因していると考えます。そしてそれは、自然な考え方と言えます。つまり、何かが起こるためには理由がある、ということです。
この説を支持するのであれば、時間はずーーーっと流れていて、変化しないときはなかった、ということになります。なぜなら、時間がなぜ止まったのか、またなぜ再開したのか(と、書いている今この瞬間時間は流れているように思えるので、過去止まったとしても、再開はしていることになる)の理由がないからです。
神様が気まぐれで止めて、気まぐれで再開した、としか言えなくなります。
なので、時間はずーーっと続いていたことになります。(ただし未来に止まってしまう可能性は否定できませんが。)人間がいようがいまいが、ずーーーっと続いているのが時間です。
時間は存在していないことの証明
反対に、「時間」は実は存在しないのだとする説もあります。マクタガートによる『時間の非実在性』の理論が有名ですが、ここでは著書のご紹介に留めて、哲学的思考をしてみたいと思います。
というのも、管理人の力量不足もさることながら、書き進めたものの非常に難しい分析哲学の議論になってしまい、「やさしい哲学」を目指すこのサイトに合わないと判断したためです。いつかわかりやすく説明できるようになったときに追記できたらいいなと思いますが(いつだ・・・)
マクタガートの理論は、現代でも賛否両論で議論されていますが、彼が証明したのは「時間は実在しない」という事実です。
確かに時間は、普通に考えれば存在していて、しかも「私」がいなくてもずーーっと存在しているように思えます。
しかしそれは本当でしょうか?それをどう証明できるのでしょうか?死後も魂みたいなものが残って、世界を見ているのだとしたら(その意見は支持しないし、したくもないですが)証明できることになりますが、死後に「あ、時間はずーーと流れてるんだ」と気づいたところで、それをどう現世の人間に説明できるのでしょうか?
少なくとも現代までの段階では、死者が時間の存在を説明してくれた形跡はなさそうです。ここまでくると、もう宗教的思想の領域に関わりますね。
時間は、どうやら私たちが考えていたように、私たちがいなくてもずーーっと存在している、と思うことはできても証明することはできないようです。
再び時間の概念を変えた現代の時間解釈
時間は流れ、過去には戻れないというのが私たちの一般的な概念です。 しかし近年、素粒子単位の小さな物体のふるまいを観察すると、時間が巻き戻ったとしかいえない現象も観察できるのだそうです。つまり「時間の不可逆性」は否定されているのです。(2018年の講義によりますので、最新の科学で変化はあるかもしれません)
また、量子力学を用いた時間の理解はまた変化したものになっています。それは、「人間がいるから時間がある」とでも言えるような理論です。
例えば科学的に、何か物質の温度をはかったとしましょう。しかし客観的な、その「もの」の温度そのもの、というのは測れないのだそうです。液体に温度計を入れれば温度は測れます。しかし、温度計を入れることで、実際の温度が若干ながら変わってしまいますよね。なので、「本当の温度」なるものは測れないことになってしまいます。
それは古い温度計だからでしょ、と思ってしまいますが、この原理を発展させて考えると、なんらかの実験をしたとき「人間が観察」したときとしないときでは、実験結果が違うのだそうです。
これは、世界は人間が観察することで、未来に変化が起きている、つまり人間が生きていくそのことが時間を作っている、という概念に繋がります。またこのことは、時間は一本の流れではなく、たくさんの人間のたくさんの選択肢で分岐した、たくさんの糸の束のようなという概念にも繋がっていきます。
・・・どっかで聞いたことあるような?そうです。SFとかアニメでよく使われますね、多次元世界、的な。
これはほぼ正しいだろうと現代科学でされている一方、しかし他の次元と交わることは絶対にないということもわかっています。絶対に永遠に交わらない他の時間の流れは「ある」と言えるのでしょうか??
「引き寄せの法則」の出どころ
人間が、観察することで未来が変わっていく・・・だとしたら、人間の思いが未来を紡いでいる、と捉えることもできるかもしれません。それが「引き寄せの法則」のベースですね。
もちろんそれを信じて幸せになった方はそれでよいのです。でも、「引き寄せの法則に効果がないのは、自分の思いが足りないから」と考える必要はありません(笑)
だって、科学のエッセンスのごく一部を拾いあげて話を盛っている(これを「エセ科学」とか「とんでも科学」とか言うらしいです(笑))に過ぎません。「科学的にそれが証明されている」と科学が述べているわけではないのです。
まあ、科学だけが全て「正しい」とは言い切れません。近いうちに科学とは何なのかも語ってみたいと思います。
最後までお読みくださってありがとうございました。